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東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)26号 判決 1980年10月27日

原告

東京アンテイーク・アームズ株式会社

右代表者

横山奈保子

右訴訟代理人

松枝迪夫

外三名

被告

東京都教育委員会

右代表者委員長

村井資長

右訴訟代理人

海谷利宏

外二名

右指定代理人

宮本光浩

外一名

主文

1  原告が昭和五三年一月一一日付でした別紙目録記載の短銃一丁の登録申請について、被告が同年三月二日付でした却下処分はこれを取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

二そこで本件処分の適法性について判断する。

1  先ず銃刀法第一四条第一項の趣旨及び同項にいう古式銃砲の意義について考察する。

(一)  銃刀法は昭和三三年法律第六号として制定されたが、その第一四条第一項は銃砲刀剣類等所持取締令(昭和二五年政令第三三四号)第七条第一項の規定を踏襲したものであつて、当初の規定は「文化財保護委員会は、美術品若しくは骨とう品として価値のある火なわ式銃砲又は美術品として価値のある刀剣類の登録をするものとする。」というのであり、同条第三項において「第一項の登録は、登録審査委員の鑑定に基づいてしなければならない。」と規定し、同条第五項の委任に基づいて制定された銃砲刀剣類登録規則(昭和三三年三月一〇日文化財保護委員会規則第一号)第四条第一項は「火なわ式銃砲の鑑定は、次の各号の一に該当するかについて行うものとする。」としたうえ次のとおり定めていた。

一  さきごめ式で火なわによつて発火する装置の銃砲で、形式、象嵌、彫物等に美しさが認められるもの又は資料として価値のあるもの

二  前号に掲げるものに準ずる銃砲で骨とう品として価値のあるもの

このように登録が許される銃砲は当初火なわ式銃砲に限られていたところ、昭和四〇年法律第四七号により銃刀法第一四条第一項中「火なわ式銃砲」とあるのが「火なわ式銃砲等の古式銃砲」と改正された。

(二) 右改正銃刀法にいう「古式銃砲」の意義は銃砲史上一般に承認されている古式銃砲の概念に立脚したものと解される。そこで以下銃砲の発達史を概観するに、<証拠>によれば、銃砲の歴史は弾薬の装填方式についていえば前装式(さきごめ)から後装式(もとごめ)へと、装填した火薬を発火させる方式についていえば指火式から幾多の変遷を経て金属製薬きよう式へと進歩発展して来たものといえるのであつて、その変遷を点火機構の面から見るとおおむね次のとおりであると認められ<る。>

(1)  指火式 手で火種を持つて火門に押しつけ着火させるという原始的な方式。

(2)  火なわ式 着火した火なわを火皿に落とし点火薬を発火させ、これによつて銃身内の火薬を爆発させる方式。火なわを保持しておく仕掛けとして初期に考案されたものはサーペンタインと呼ばれるS字型金具を木台に取付けたもの(これが引金の源流となる。)が用いられたが、一五世紀後半になると発条によつて火挾の頭を常に上げておき引金を引くことによつてこれを火皿に接触させるという仕掛けに進んだ。我が国には天文一二年(一五四三年)ポルトガル人が種子島にもたらしたとされている。

(3)  火打ち石式 引金を引くことにより火打ち石を当金に激突させ、これによつて生じた火花を火皿に受けて点火薬を発火させる方式。

(4)  管打ち式 火なわ式の場合常に火種の心配をせねばならず、悪天候での使用は困難であり、火種の点を解決した火打ち石式も強風時や豪雨時での使用は困難であつたが、これらの問題は一定強度の打撃によつて爆発する性質を有する雷こう(雷酸第二水銀)の発明により解決された。これを用いた最初は一八〇七年ころイギリス人フォーサイスであつて、それは粉末状の雷こうを火門に結合されたプラグに入れ、引金を引くと撃鉄がプラグのノッブを打つて発火させる方式である。その後一八一六年ころアメリカで銅製の雷管が考案され、これを用いた雷管式銃が広まり、一八四〇年ないし一八四二年にはヨーロッパの主要な国の軍隊が従来の火打ち石銃を廃して雷管式銃を採用した。

(5)  弾薬筒式 従来の方式ではいかに進歩したものでもせいぜい弾丸と火薬を一緒に包む程度で、その装填方法も前装式であり、雷管は別に装填しなければならないという不便さがあり、この点を解決する方法として弾丸、火薬、雷管を一体化させる工夫が積み重ねられた。

(イ)  ピン打ち式(ピンファイヤー) 一八三六年フランス人ル・フォーショウが考案したもので、銅製の薬きようの前部に弾丸を、中央部に火薬を、後部に雷こうを充填し、その後部からほぼ直角に撃針が突出しており、これを打撃することによつて雷こうを発火させる方式。銃に装填したとき撃針の出ている様子がかにの目に似ているところから、我が国ではかにの目式とも呼ばれる。

(ロ)  紙薬包式 ル・フォーショウの発明と同じころドイツ人ドライゼが考案したもので、弾丸と火薬の間に雷こうを装置し、これを厚紙製の筒に納め、撃針が厚紙底部中央を貫破り雷こうを発火させる方式であり、中心打撃式のものとしては最初のものである。このドライゼ銃に刺激されてフランス人シャスボーが改良し(一八六四年式シャスボー銃)、イギリスでは銅製底部中央に雷こうを装置した紙筒薬きようが開発された(一八六六年式エンフィールド・スナイドル銃)。

(ハ)  辺縁打撃式(リムファイヤー) 金属性薬きようの底縁に雷こうを装置し、この底縁を打撃することによつて発火させる方式。一八四五年フロベルの考案になり、その後アメリカのスミス・アンド・ウエツソン製銃会社がこの方式によるレボルバー式銃を製造し、これがアメリカ中に広まり、現在もこの方式の薬きようを使用するものが存在している。

(6)  このように不完全ながら薬きようが開発され、これによつて後装式連発銃への途が開かれた。初期の段階では、右のとおりヨーロッパにおいては厚紙製中心打撃式薬きようが、アメリカにおいては金属製辺縁打撃式薬きようが一般に用いられたが、一八七〇年代には世界的傾向として次第に金属製の中心打撃式薬きようが一般的となり、現代式銃へと移行していくのである。幕末動乱期の我が国には諸候が争つて欧米各国から購入した大量の銃砲が持ち込まれ、当時の新式銃から廃銃同然のものまでその種類は二〇〇種類にも及んだといわれ、また我が国においてもこれらを手本とした銃砲が製造された。

以上のとおり銃砲の歴史は長い年月をかけ漸次改良が積み重ねられて進歩発達して来たものであり、その種類も極めて多いのであるから、一の構造制式をもつて古式銃を現代式銃から区別しこれを定義づけることは困難であるが、現在用いられている点火機構に至る前の、おおむね前記(1)ないし(5)のような、年代でいえばおおむね慶応三年(一八六七年)以前の考案になる銃砲を古式銃砲とするのが常識的であるといわれている。

(三) そもそも銃刀法は銃法刀剣類等による危害の予防を目的とするものであつて、原則として銃砲の所持を禁止しているところ(銃刀法第一条、第三条第一項)、前記のとおり昭和四〇年法律第四七号により登録の対象となる銃砲を「火なわ式銃砲」から「火なわ式銃砲等の古式銃砲」に拡張した趣旨は、前記のとおり銃砲は幾多の変遷を経て進歩発達して来たのであるが現在用いられていない古い型の銃砲史上貴重な研究資料としてのみならず、美術品若しくは骨とう品として愛好家の鑑賞、保存の対象として文化的価値を有するものであるから、登録の途を開くことによつて所持を許し活用することは社会的に有益であり、このことは火なわ式銃砲に限られないのであり、他方これらの古い型の銃砲は実用に供することが困難であり、仮に実用に供されることがあるとしてもその威力は現代式銃砲に比して格段に劣るので、その所持を許しても危害の予防上重大な支障が生ずるものではないとの観点に立つたものと解される。そして以上のような銃刀法第一四条第一項の趣旨及び銃砲の歴史に基づいて考えると、同項所定の古式銃砲とは現在用いられている中心打撃式又は辺縁打撃式金属製薬きよう方式が採用される前に現われた古い形式の点火機構による銃砲、具体的には前記(二)の(1)ないし(4)及び(5)の(イ)、(ロ)までの段階の古い銃砲を指すものと解するのが相当である。

右銃刀法第一四条第一項の改正に伴い前記文化財保護委員会規則第四条第一項は次のとおり改正された(昭和四〇年文化財保護委員会規則第三号)が、この規定は以上考察した銃刀法第一四条第一項の趣旨に添つたものということができる。

(旧規則第四条第一項)

火なわ式銃砲等の古式銃砲の鑑定は、次の各号の一に該当するか否かについて行うものとする。

一  火なわ式、火打ち石式、管打ち式、紙薬包式又はピン打ち式(かに目式)の銃砲で、形状、象嵌、彫物等に美しさが認められるもの又は資料として価値のあるもの

二  前号に掲げるものに準ずる銃砲で骨とう品として価値のあるもの

(なお右規則は昭和四三年法律第九九号により銃刀法第一四条中文化財保護委員会とあるのが文化庁長官と改められたのに伴い、文部省令としての効力を有するものとされた。)

2 しかるに昭和五〇年三月一七日文部省令第四号により旧規則第四条第一項の冒頭が「火なわ式銃砲等の古式銃砲の鑑定は、日本製銃砲にあつてはおおむね慶応三年以前に製造されたもの、外国製銃砲にあつてはおおむね同年以前に我が国に伝来したものであつて、次の各号の一に該当するものであるか否かについて行うものとする。」と改正(昭和五〇年四月一日施行)されたところ、本件短銃の登録申請を却下した処分が右改正後の登録規則第四条第一項所定の鑑定基準に合致しないとの理由でされたものであることは当事者間に争いがなく、証人石藤守雄及び同曾根寛の各証言によれば、その具体的理由は本件短銃が①米国製であつて慶応三年(一八六七年)以前に日本に伝来したものではないこと及び②一八六八年以後に製造されたものであることというにあつたことが認められる。

3 原告は本件処分の違法事由として右改正登録規則の規定が無効であると主張するが、被告は本件短銃は旧規則当時の鑑定基準によつてもその基準に合致せず、改正登録規則の有効無効を論ずるまでもないと主張するので、先ずこの点について検討する。

(一)  証人岩堂憲人及び同マリオ・ローレンス・サクリパンテの各証言によれば、本件短銃は昭和五二年一二月ころ原告が輸入したピン打ち式銃であり、その銘文から判断して一八七八年(明治一一年)か又は同年より後のごく同年に近いころ米国において製造されたものと考えられるが(一八七八年以降の製造であることは当事者間に争いがない。)、現在用いられている点火機構を備えているか否かを基準とすれば現代式銃砲の部類には入らないこと及びピン打ち式銃砲は前記のとおり一九世紀のほぼ中期に考案され銃砲の主流が現代式銃砲に移行する直前ころまでに製造された過渡的な銃砲であつて、世界的に見ても製造された期間は短く、当時我が国に伝来した丁数も割合に少なかつたものであるところ、本件短銃の製造年代はこの型の銃としては最末期に属するものであつて、銃砲発達史上から見て資料的価値を有するものであることが認められ、この認定を左右する証拠はない。右事実によれば本件短銃は旧規則第四条第一項第一号に列挙されている型の一に該当し、かつ資料的価値を有する古式銃砲であるということができる。

(二) ところで昭和四三年法律第九九号によつて改正される前の銃刀法第一九条第一項によれば登録に関する文化財保護委員会(右法律によつて改正された後は文化庁長官の事務は都道府県の教育委員会に委任されており、<証拠>によれば右旧規則の制定に伴い昭和四〇年七月一五日付で文化財保護委員会事務局長名による各都道府県教育委員会教育長宛の通知が発せられ、旧規則制定の趣旨及び運用上の留意事項について指導がなされたが、右通知に記載されている古式銃砲の鑑定基準に関する部分は被告の主張三1(二)記載のとおりであり、被告においても右事務局長通知に基づいて登録事務を適用して来たことが認められるところ、被告は右事務局長通知により、登録の許される古式銃砲は慶応三年(一八六七年)以前に製造され又は我が国に伝来した銃砲であるとの解釈基準が確立され、実際にもそのような解釈によつて運用されていたと主張し、証人石藤守雄及び同曾根寛の各証言中には一部右主張に添う部分がある。

しかしながら法令にはかかる限定は何ら規定されていないのみならず、右事務局長通知を子細に検討しても、火なわ式銃砲以下五種の型の銃砲の説明(アの①ないし⑤)にはこれらの銃砲が最初に考案、製造された年代及び我が国に伝来し輸入された年代の説明はあるにしても、製造及び伝来時期の限定についての説明は何らなされておらず、イの項において「第四条第一項第二号の前号に掲げるものに準ずる銃砲とはアに掲げるもの以外のものでおおむね一八六七年(慶応三年)以前に製造された古い銃をいう。」と記載されているに過ぎないのであつて、このような記載から直ちに前記五種の型に属する銃砲の製造及び伝来時期を一八六七年(慶応三年)以前に限定する趣旨であるとは解されないし、製造時期を被告主張のように厳密に限定することの合理性に疑問があること及び伝来時期を被告主張のように限定する合理的理由のないことは後記のとおりである。また当時の実情を見ても証人岩堂憲人、同曾根寛及び同マリオ・ローレンス・サクリパンテの各証言によれば、旧規則施行当時何人かの輸入業者が外国製の古式銃砲を輸入して正規の登録を受けており、ことに昭和四〇年代の後半にはその数量がかなりの丁数に上つていたこと、原告もそのような業者の一人であつて昭和四六年設立以来旧規則が改正されるまでの約四年間に約六〇〇丁の外国製古式銃砲を輸入し登録を受けたこと及び被告の所部職員は登録手続に際し輸入にかかる銃砲であつても前記五種の型に属するものであれば特に資料の提出を求めるなどして伝来時期、製造時期を厳密に考証するまでのことは行なつておらず、現に原告は本件短銃と同じ型の輸入銃について登録を受けたこともあることが認められ、これらのことからすれば慶応三年以前に製造又は伝来したとの解釈基準が確立され、これによつて現実に運用されていたとの被告の主張は疑問であつて、右主張に添う前記証人石藤守雄及び同曾根寛の各証言の部分は採用できない。

(三) 以上によれば本件短銃が旧規則第四条第一項所定の基準に合致しないとの被告の主張は理由がない。

4  そこで進んで改正登録規則第四条第一項の効力について判断するに、原告は右改正規定は銃刀法第一四条の趣旨を逸脱したものであると主張するので、先ずこの点について考える。

(一) 銃刀法第一四条は、美術品若しくは骨とう品として価値のある古式銃砲の登録を許すか否かの判断が専門的知識と経験を必要とするものであることにかんがみ、これを登録審査委員の鑑定に基づいてすることとし(同条第三項)、鑑定の基準等についての具体的細目は文部省令で定めることとし(同条第五項)ており、登録規則は右法律の委任に基づいて制定されたものであるから、登録規則において鑑定基準を定めるには銃刀法第一四条第一項が古式銃砲の登録を許した趣旨に則つて定めることを要し、その内容には自ら右の趣旨に基づく限界があるものというべきである。

(二) ところで旧規則の改正は前記のとおり古式銃砲の基準について、日本製銃砲にあつては「おおむね慶応三年以前に製造されたもの」、外国製銃砲にあつては「おおむね慶応三年以前に我が国に伝来したもの」との要件を付加したものであるが、右の文言によれば外国製銃砲についても当然に「おおむね慶応三年以前に製造されたもの」であることが前提とされていることが明らかである。そこで以下かかる製造及び伝来時期についての限定的要件の付加が銃刀法第一四条第一項の趣旨に照らし合理性を有するか否かについて、被告主張の改正理由に則して検討する。

(1) 被告は製造時期をおおむね慶応三年で区切ることは銃砲史における常識であり、またこのようにすれば壬申打刻の有無によつて判別が容易であると主張する。

しかしながら、なるほど登録規則第四条第一項第一号に列拳されている五種の銃砲がいずれも慶応三年以前の考案になるものであり、またおおむね同年以前の考案になるものを古式銃砲とするのが銃砲史における常識的考え方であるとされていることは前記1の(二)で示したとおりであるが、同所冒頭に掲げた各証拠によば銃砲は世界各地において漸次改良が積み重ねられながら進歩発達して来たものであつて、ある型の出現により他の型のものが一挙に用いられなくなつたというものではなく、これを現在用いられている金属性薬きように応じた点火機構の銃砲が主流をなすに至つた一八七〇年代についていえば慶応三年(一八六七年)以前に開発製造されていた銃であつて現代式点火機構を備え古式銃砲には当らないとされる銃が存する一方、同年以前の考案になる古い型の銃がその後もなおしばらくは製造されていたことのあり得ることが窺えるのであり、このような過渡的な古い型の銃砲が古式銃砲に当らないとする常識が存在しているとは認められない。かえつて銃刀法第一四条第一項所定の古式銃砲の意義は前記1の(三)で示したとおりであり、その鑑定基準として慶応三年以前の製造という基準を設定することはそれが一応の目安として考慮されるというのであれば格別、画一的な基準とされるならば右の意義における古式銃砲に属する過渡的な銃砲を銃刀法第一四条第一項の古式銃砲から除外する結果となり、このような基準の設定は前記銃刀法第一四条第一項の趣旨に照らしてもその合理性に疑問の存するところである。

また壬申打刻の点については、<証拠>によれば明治五年(壬申)全国の武器調査が行なわれ、その際調査された銃砲には「壬申○番○○県」あるいは「壬申○○番武庫司」のような刻印が打刻され、従つてこのような刻印の施された銃砲は明治五年当時我が国に存在していたことが確められることのあることが認められるが、右の甲第一号証の二と証人石藤守雄の証言によれば当時我が国に存在していた民有銃砲であつても調査対象から漏れたものがあり、官有銃砲については調査対象とされなかつたことが認められるのであり、また後記のとおり当時我が国には存在していなかつたがその後伝来した古い銃砲で銃砲史上資料的価値のあるものや文化的価値のあるものを銃刀法第一四条第一項の古式銃砲に含めないことの合理性も見出し難い。してみると壬申打刻の有無は古式銃砲か否かを鑑定する場合の決め手となるものではなく、これを製造時期を限定する要件を付加することの合理的根拠とすることはできない。

(2) 被告は伝来時期をおおむね慶応三年で区切ることは我が国の文化財を保護するという文化財保護法との関連で解釈すれば当然であると主張する。

しかしながら古式銃砲の登録は銃刀法に則つて行なわれるべきもので、文化財保護法に基づいて行なうものではないから、古式銃砲が同法にいう文化財(ことに同法第二条第一項第一号所定の有形文化財)であるか否かによつて登録の許否が直接左右されるものではないものというべきところ、銃刀法第一四条第一項は登録を許すべき古式銃砲についてかかる伝来時期の限定は付していないのであり、たまたま登録事務の所掌行政庁が文化庁長官(昭和四三年法律第九九号による銃刀法の改正以前は文化財保護委員会)であることによつて銃刀法第一四条第一項所定の古式銃砲を「おおむね慶応三年以前に我が国に伝来したもの」に限定すべきであるとの解釈を導き出すことはできない。もつとも銃刀法第一四条第一項の趣旨は前記のとおり古式銃砲に文化的価値を認めこれを活用するにあると解されるから古式銃砲として登録を許すか否かの鑑定にあたつてはその面からする制約が当然考えられるところである。そこで念のため文化財保護行政の基本法である文化財保護法について考えてみるに、なるほど同法第二条第一項第一号は有形文化財の定義の内容の一として「我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」との規定があるけれども、その趣旨は我が国の歴史を理解し、芸術を鑑賞するうえで価値の高いものとの意味であると解され、従来から我が国に所在しているものに限る趣旨ではないものというべきであつて、これを銃砲についていうならば慶応四年(明治元年)以降今日に至るまで我が国に伝来した古式銃砲で我が国の銃砲史、合戦史、ひいては天文一二年以来明治維新に至る我が国の歴史を理解するうえで価値のあるものの存在は十分考えられ得るところであり、このような銃砲を我が国の文化財から除かなければならない合理的理由は見出し難い。

(3)  被告は古式銃砲が犯罪に使用された事例をあげて危害予防に支障がないよう配慮すべき具体的必要が生じたと主張する。

そこで検討するに<証拠>によれば、昭和四八年ころから古式銃砲の登録件数が急増し、その理由は輸入によるものが増加した結果であつたところ、古式銃砲として輸入された銃による左記①ないし④のような事件が発生し、このことが直接の契機となつて旧規則の改正が立案され、登記規則第四条第一項冒頭の要件を付加する改正がなされたことが認められる。

① 昭和四九年七月一八日ころ大阪市西成区において暴力団員がゲームセンターで所持金をすつてしまつた腹いせにゲーム機械販売会社に押しかけ、所携のシャープス二二口径紙薬包式小型四連発銃(登録済)により弾丸三発を発射した。

② 右事件の捜査の過程で右暴力団員の妻からレミントン三六口径管打ち式銃一丁(登録済)の任意提出があつた。

③ 神奈川県警察本部は昭和四九年九月一九日東京都多摩市において右翼団体幹部宅を銃刀法違反容疑で捜索した際レミントン四四口径モデル一八五八レボルバー式六連発銃一丁(未登録)を押収した。

④ 右③の銃の入手経路を捜査した過程で、③と同種の銃三三丁(登録済)が発見された。

たしかに古式銃砲として登録された銃砲が兇器として犯罪に使用され又は使用される虞れがあるとすれば由々しい事態であり、銃砲による危害予防の見地からする対策が必要であるとの主張には十分耳を傾けなければならないが、前掲乙第七号証の一、二と証人足立興二及び同石藤守雄の各証言によれば、右①ないし④の銃のほとんどは古式銃砲に似せて近年作られた模造品又は一部古い部品を利用して改造された変造品であつて真正な古式銃砲とはいえないものであつたことが認められるのであり、従つて旧規則の下においても鑑定を厳格に行なつていれば登録は許されなかつた筈のものなのである。そして右の各証言によつて登録が許された真正の古式銃砲が暴力団の抗争事件に兇器として使用されるなど危害の予防上由々しい事態が生じているとはまだ認められないのであり、他にこれを肯認するに足りる証拠はない。なおこの点について証人岩堂憲人は、このような主として輸入にかかる模造品又は変造品が登録されるのを防ぐためには「おおむね慶応三年以前に製造されたもの」という線を引くことは現状ではやむを得ない旨証言するので付言するに、同証言を検討しても慶応三年という区切りをつけることによつて近年製造される模造品又は変造品の混入を防止し得る根拠について首肯するに足りる説明がない。のみならずこのような模造品又は変造品の輸入についていえば、このような銃砲はそもそも古式銃砲ではなく、発射機能からして昭和四〇年法律第四七号によつて追加された銃法第三条の二所定のけん銃に該当することも十分考えられるのであつて、そうであるとすればそのような銃の輸入に対する規制は右の規定によつて行なわれるべきものであるし、仮にけん銃に該当しないとするならばそのような銃の輸入は同条の二による規制の対象から除外されているのであるからその輸入を制限しようというのは立法論に属し、いずれにしても古式銃砲として価値があるか否かの鑑定基準を設定するにあたり、かかる危害予防の観点からする輸入の是否を考慮することは、銃刀法第一四条第一項の趣旨に照らし、合理的とはいい難い。もし危害予防上外国製古式銃砲の輸入に問題があるとするならば、銃刀法第三条の二ないし第一四条の改正によつてその禁止、制限を行うのが筋である。

よつて危害予防上必要であるとの点もいまだ旧規則の改正の合理性を根拠づけるには足りない。

(三)  以上のとおりであるから、旧規則の改正により登録規則第四条第一項に付加された要件のうち「おおむね慶応三年以前に我が国に伝来したもの」との要件は銃刀法第一四条第一項の趣旨を逸脱したものであつて無効というべきであり、「おおむね慶応三年以前に製造されたもの」との要件は製造時期に関する一応の目安としてであればその合理性を肯定し得ないことはないが、該銃砲が単に慶応四年(一八六八年)以後に製造されたとの一事をもつて画一的にこれを古式銃砲から除外する趣旨であるとすれば右銃刀法の委任をいささか逸脱したものといわざるを得ない。

5 本件短銃は以上示したところによれば登録規則第四条第一項第一号に列挙されている型の一に該当し、資料的価値を有する古式銃砲であり、銃刀法第一四条第一項による登録の資格を具備したものであるというべきところ、本件処分は登録規則第四条第一項冒頭に付加された要件を適用した結果これが①米国製であつて慶応三年(一八六七年)以前に日本に伝来したものでないこと及び②一八六八年以後に製造されたものであることとの理由によりその登録申請を却下したものであることは前記2のとおりである。しかしながら以上示したところによれば「おおむね慶応三年以前に我が国に伝来したもの」との要件を適用したのは違法であり、また「おおむね慶応三年以前に製造されたもの」との要件を適用して本件短銃を古式銃砲から除外したのも違法というべきである。

三よつてその余の点を判断するまでもなく本件処分は違法であるからこれを取り消すこととし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(藤田耕三 原健三郎 北澤晶)

別紙

目録

一 種別 ピン打ち式

二 構造 後装(もとごめ式)

三 全長 19.9センチメートル

四 銃身長 8.5センチメートル

五 口径 0.9センチメートル

六 銘文 THE GUARDIAN AMERICAN MODEL OF 1878

七 製造国 米国

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